――翌日、朝の海から吹き込む潮風が、校舎の窓を微かに揺らしている。
いつも通りの登校時間だが、今日は違う緊張感を抱えていた。
なぜなら、キャプテン・篠田晃(しのだ・あきら)先輩が
足の痛みを押して学校へ来ることを決め、
さらに黒川修二(くろかわ・しゅうじ)先生と「直接話したい」と言い出したのだ。
この二人はずっと対立し、互いを疑うような雰囲気が漂ってきた。
篠田先輩は「足を気にしすぎる先生が、インターハイを諦めさせようとするため、
ボードを盗んだのでは」とまで思いつめていたし、
先生も「お前の足が悪化するのは見ていられない」と、頑なに大会出場を止めていた。
――ついに、二人が正面から向き合うときがやって来る。
多くの部員たちが、そして俺(相沢航平)を含む数名の“捜査協力メンバー”が、その場を注視していた。
◇◇◇
1. 篠田先輩、足を引きずって登場
放課後、サーフィン部の部室。
扉が開き、松葉杖をついた篠田先輩がゆっくりと入ってくる。
見れば、右足には厚めのテーピングとサポーター。痛々しくて仕方ない。
「キャプテン……大丈夫ですか?」
ひなた(橘ひなた)が心配そうに寄っていくと、
先輩はぎこちない笑みを見せる。
「まだ痛いけど、動けないほどじゃない。大会まであと数日しかないからな……
俺が暗い顔してても、何も進まないだろ」
「そ、そうですね……」
声が上擦るひなたに、大谷知樹(おおたに・ともき)も続ける。
「でも先輩、その足で無理するのはやめてくださいよ。本当に危ないんだから」
「わかってる。でも、今日は先生と話をしに来たんだ」
篠田先輩が改めてきっぱり言うと、
部室にいた部員数名が息を呑む。
「黒川先生は……もう来ているのか?」
「先生なら、さっき様子を見に来て、一度職員室に戻りました。もしかしてすぐ来るかも」
ひなたが答えると、ちょうどタイミングよく、
扉の向こうから黒川先生が姿を現した。
◇◇◇
2. 部室での二人の対峙
「先生……話がある」
篠田先輩がまっすぐ先生を見据える。
先生は少し表情を曇らせつつ、静かに頷いた。
「わかった。……ここでいいのか?」
先生の声は低く、部内の空気は一気に張り詰める。
俺、ひなた、大谷、さらに川久保沙季(かわくぼ・さき)先輩も固唾を呑んで見守る。
部員たちも部室の隅で耳をそばだてている。
「何度も同じことを言って申し訳ないけど、先生……本当にボードを知らないのか?
俺は、勝手に疑ってるってわけじゃない。でも、どうしても納得できないんだ。
足を気にして俺を止めたいなら、ボードを隠して“大会を諦めさせる”のが手っ取り早いと思うかもしれないし……」
先輩の声は震えている。足の痛みではなく、心の苦しさがにじむようだった。
先生は顔を歪め、しばし沈黙してから答える。
「確かに、俺はお前の足が悪化するのを見ていられない。
自分が高校時代にやった失敗を、お前に繰り返してほしくないと思っている。
……だが、俺は盗みなんかしていない」
「なら……証拠を見せてくださいよ。先生しか鍵を管理してないのに、どうやってボードを持ち出したのか証明しようがないでしょう?」
篠田先輩が声を荒らげると、黒川先生は苛立ちを隠せない様子で言い返す。
「お前こそ“盗んだ証拠”を示してみろ。疑うのは勝手だが、何一つ根拠はないだろう。
鍵だって、俺は毎日職員室のデスクにしまっている。夜間は警備員が巡回しているし……」
「でも実際、夜に何者かが職員室へ忍び込もうとしたって噂もある」
大谷が横から口を挟む。
「それが先生でない保証はないですよね?」と直球で問いかけると、
先生は一瞬絶句する。
「俺が夜に職員室へ……?
……確かに、前にも言ったように“残業で戻ることはある”が、深夜にまで及んだことはないはずだ」
「『ないはず』って曖昧じゃん」
大谷が険しい目でにらむ。
ひなたは「ちょ、ちょっと大谷……」と焦るが、もう止まらない。
そのとき、桐生瑞貴(きりゅう・みずき)生徒会長が部室に入ってきた。
視線を鋭くさせ、先生のほうへ歩み寄る。
「先生、私も以前に監視カメラを確認しましたが、深夜にフードを被った人影が映っていたのは事実です。
しかも校舎裏をさまよっていた。
先生が職員室に“残業”で戻っていたなら、その時間帯と合致する可能性もありますよね?」
(桐生先輩も大胆だ。ここで真っ向から先生に迫るのか……)
先生は苦い顔で拳を握る。
「まさか……俺を包囲する気か?
いいだろう、何でも言ってくれ。……確かに俺は、夜に学校へ来ることが時々ある。
だが、鍵を盗んでまで“篠田のボード”を隠すなんて、俺に何の得がある?」
「先輩を守るため、ですよね。
先生自身が高校時代に大怪我をして、将来を棒に振った。
篠田先輩も同じ道を踏みそうだから、強引に大会を諦めさせようと……」
沙季先輩が鋭く言い切ると、部員たちはざわめく。
こいつ、すごい強気だな……と思いつつ、実際ここが核心の疑惑だ。
「守りたい、か。
確かに俺は、篠田に無理をしてほしくない。でも、盗難なんて手段を取るほど愚かじゃない。
お前たちがいくら疑おうが、そんな事実はないんだ」
先生は力を込めて否定するが、
篠田先輩は頑なに「信じられない」と表情をこわばらせる。
両者の溝はまるで平行線。
(くそ……やはり直接対峙しても、証拠がない限り堂々巡りなのか)
俺は眉を寄せる。
大谷も歯ぎしりしている。
ひなたが涙目で、「何とかならないんですか」と漏らすが、先生も先輩も頭を振るばかり。
このままでは完全な決裂だ――と思ったとき、
意外な人物が声を上げた。
「……ねえ、先生。それなら、校内の監視カメラをもっと詳しくチェックしませんか?
夜に本当に先生が“いなかった”というアリバイをきちんと証明すれば、誰も先生を疑わなくなるでしょう?」
そう言ったのは、川久保沙季(かわくぼ・さき)先輩ではなく……ひなただった。
先生が目を見開く。
「監視カメラか……確かに正面玄関や廊下の一部にあるが、全部をカバーしているわけじゃないし、
職員室を映しているわけでもないだろう」
「でも、生徒会長の桐生先輩が映像を分析すれば、“先生が入退室した時間”くらいは大まかにわかるかもしれません。
それを部員にも公開すれば、“先生が夜中に忍び込んだ形跡はない”とわかるんじゃ……」
(なるほど。完全ではないにしろ、アリバイ証明の一つにはなるかもしれない。
黒川先生が夜更けにこっそり鍵を探しに行ったなら、どこかのカメラに映る可能性がある)
先生は唸るように息を吐き、わずかに苦笑した。
「まさか……俺がそこまで監視される羽目になるとはな。
だが、そうでもしないと篠田が納得しないなら……桐生にも協力してもらうしかないか」
篠田先輩は険しい顔をしたまま黙っている。
しかし、“もし本当に先生が犯人ではない”なら、少しは安心材料になるだろう。
「……いいだろう。アリバイを確認するのは賛成だ。
それで先生の潔白が証明されるなら、俺も疑いを晴らせる。
でも……それでもボードが戻らなければ、結局大会には出られない。
俺の足も、このまま治るかどうか……」
弱々しい声を漏らす先輩。
先生はそれに「……すぐ治るわけじゃない」と言いかけるが、
その言葉を飲み込むように黙り込む。
(ああ、雰囲気が重い。二人とも、お互いを思いやってるような、でも分かり合えない皮肉な状況……)
桐生先輩が「とりあえず、今週中に監視カメラのログを洗い出してみる」と宣言し、
一旦その場は落ち着く。
だが、篠田先輩の足の問題や、盗まれたボードそのものは依然として行方不明のままだ。
◇◇◇
3. 隠された“カード”――もう一人の目撃者?
部員たちは、顧問とキャプテンの対峙がやや和らいだ雰囲気を感じ取り、
「少し前に進んだかな」と安堵しているようだが、
俺や大谷、ひなたはまだ不安が拭えない。
桐生先輩も渋面を浮かべたまま廊下へ出てくる。
「先生のアリバイが証明できても、肝心の犯人が誰かはわからないまま……」
ひなたが苦しそうに呟く。
「うん……それに、退部生も違ったわけだし、外部犯行にしては変だし……」と大谷が続ける。
そのとき、ふと沙季先輩が手を組んで考え込むように言った。
「ねえ、黒川先生と篠田先輩が口論していたのを、
“よく目撃してた”って言っていた部員がいたじゃない?」
「ああ、確かに……そんな話がちらほら出てたな」
大谷が思い出したように頷く。
「でも本人に聞いてみても“詳しいことは言えない”とか言って逃げられなかったっけ?」
沙季先輩は小さく唇を引き結ぶ。
「そうなの……あの子、何か知ってる気がするけど、怖がってるのかもしれない。
実際、先生と篠田先輩の衝突は迫力あるし、事件に巻き込まれるのが嫌なのかも」
ひなたがはっとする。
「じゃあ、その子から証言を聞き出せれば、
先生が夜に倉庫へ行ったかどうか、あるいは他の人物を見かけたかどうか……何かわかるかも!」
「……ただ、あの子はあんまり人と話すの得意じゃないっぽいし、
今は部活にも顔を出さないから、どう説得するかだよね」
沙季先輩の言葉に、みんな頭を悩ませる。
(またしても聞き込みか……でも、こうなったら藁にもすがる思いだ)
「よし、オレが探してみるか」と大谷が立ち上がる。
「航平やひなたと一緒なら、なんとか話を聞けるかもしれないし」
ひなたもすぐ反応する。
「うん、みんなで行けば怖くないし。今回こそ根気よく事情を聞いてみましょう」
決まった。
監視カメラの確認に加え、怪しい言動のあった部員への再アプローチ――
二つの手で攻めていくことになる。
(最終的に、これでも犯人がわからなければ、もう手詰まりかも……)
頭の中でそう呟きながら、俺は拳を握りしめる。
篠田先輩と黒川先生は平行線のままだが、このままじゃ終われない。
どこかに必ずカギがあるはずだ。
◇◇◇
4. 退部生からの新情報
そんな折、廊下を歩いていると、意外な人が声をかけてきた。
先日、夜の器具室に忍び込んでいた退部生だ。
「……あの。先日は悪かった。あと、この前は結局騒ぎにならずに済んだみたいで助かった」
「いや、別に俺らはそんな責めてないし……」
大谷が肩をすくめる。
すると、退部生は少し言いづらそうに言葉を続けた。
「俺……ちょっと気になることがあって。
篠田先輩のボードが消える数日前、黒川先生と“ある生徒”が不自然に口論してる姿を見たことがあるんだ」
「え……先生と生徒が口論?」
ひなたが驚く。
「その生徒って誰ですか?」
「……はっきり顔を見たわけじゃない。姿はチラッと見ただけだし、
複数の人と先生が言い争うみたいに声を荒らげててさ……
ただ、そのとき先生が“鍵を返せ”って言ってた気がするんだよ」
「“鍵を返せ”……?」
胸が高鳴る。
物置や倉庫、器具室の鍵がらみでトラブルがあったのか?
「俺、気になってたんだけど、部活に居場所がなかったし……黙ってたんだ。
でも、もしそれが“ボード盗難”に関係してるなら、一応伝えておこうと思って」
退部生は歯噛みしてから、「じゃあな」と踵を返す。
この情報を聞かされた俺たちは顔を見合わせ、動揺を隠せない。
「鍵を返せ……先生と複数の生徒が口論……」
ひなたが戸惑いつつ目を伏せる。
大谷は「こりゃさっきの“怪しい部員への聞き込み”が一段と重要になったな」と唸る。
(複数の生徒と鍵トラブル……なんだろう、この嫌な予感)
黒川先生自身が「鍵を管理している」と言っていたが、
それを生徒が勝手に持ち出したり使ったり……
ありえなくはない話だ。
部活動の現場では、ときどき鍵の管理が杜撰になることもある。
(先生が夜に鍵を探してたわけじゃなく、“鍵を勝手に持ち出した生徒を追及してた”とか?
それでも、結局ボードが盗まれている以上、鍵トラブルが犯行を容易にした可能性がある)
混乱する頭を振り払って、大谷が言葉を継ぐ。
「よし、もう時間がない。俺たちが探してる“怪しい部員”ってのが、
このトラブルに絡んでるかもしれない。
聞き込みしてみようぜ、航平、ひなた」
「うん……沙季先輩も同行してくれそうだし、急いで声をかけよう」
そうして俺たちは廊下を後にし、聞き込みの準備へ。
盗難事件はもう佳境。
もしこの情報が事実なら、“先生が犯人ではなく、その鍵を悪用した生徒がいる”という線が見えてくる。
(果たして、その真犯人が何のためにボードを消したのか?)
篠田先輩の足は治りそうになく、先生も部員も精神的に限界が近い。
「もう限られた時間しかない」と感じながら、
俺は廊下を駆け出した。
◇◇◇
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