1. 真夜中の音楽室へ
ソレナトリオ――レオ、ナオキ、ソウタの三人は、音楽室に潜む「幽霊と呼ばれた少女」の手がかりを得るべく、鏡の世界で奔走していた。図書室で見つけたメモによれば、彼女は発表会に出られなかった無念を抱えているらしい。そして、不完全な楽譜を完成させれば“何か”が起こるかもしれない。
とはいえ、破れた本やメモだけでは情報が足りず、三人はさらなる手がかりを探すために、鏡の世界の夜の音楽室へ再び足を運ぶことを決意する。夕方と夜の境目すら曖昧なこの世界で、“夜”という概念がどのように示されるのかは不明だが、音楽室へ戻れば、再びあの不気味な旋律が聞こえるかもしれない。
レオは何度か深呼吸をして、自分の鼓動を落ち着かせようとしていた。鏡の世界に来たときの浮遊感や恐怖はまだ鮮明に残っている。しかし、七不思議を解決しなければ元に戻れない――その思いが、彼の足を前へ進める原動力となっていた。
2. 震えるソウタとナオキの葛藤
音楽室の前にたどり着くと、室内は相変わらず陰気で、空気が濁っているように感じられた。ナオキは懐中電灯を握りしめてはいるが、額にうっすら汗をかいている。ソウタは落ち着かない様子で廊下を行ったり来たりし、怯えが表情に出ていた。
「大丈夫、三人なら……やれるから」
レオが声を掛けると、ソウタは無理やり笑顔を作ってうなずく。ナオキは「科学的に考えれば、幽霊なんて……」といつもの理屈を口にしかけたが、鏡の世界にいる時点でその言葉が空々しく思え、自分で口を噤んだ。結局、現実の理屈が通用しない状況なのだと理解しているからこそ、内心は戸惑っているのだ。
「それな!」
弱々しくも合言葉を交わすと、三人は重い扉を押し、再び室内へ足を踏み入れる。
3. 少女の背中と楽譜の断片
埃の匂い、黄ばんだ鍵盤、ひび割れた鏡――相変わらずの光景に加え、微かに漂う甘いような香りが気になった。誰かが昔使っていた香水だろうか。それとも幻覚か。ソウタは「変な匂いがする……」と鼻をすすり、ナオキは懐中電灯をかざして原因を探る。
すると、譜面台の足元に、先ほどはなかった紙切れが落ちているのが見えた。レオが慌てて拾い上げると、それは先日の図書室で見た本の一部らしく、音楽発表会にまつわるページだった。日付は左右反転で読みにくいが、そこには「○年前、ある少女が発表会当日、病気で倒れ……」という文字が辛うじてわかる。
「やっぱり、その子がピアノを弾いてたのかな」
ソウタが震える声で言うと、突然、鍵盤の端がカタリと動いた。三人は一斉に身をこわばらせ、譜面台の向こうを凝視する。すると、うっすらと“人影”が浮かんでいるように見える。
「うわっ……!」
ナオキが息を呑む。人影は淡い光を帯び、髪の長い少女らしき輪郭を形作っている。振り向いたその背中には、古い制服のようなものを着ているらしく、白いブラウスと黒いスカートがかすかに透けて見えた。少女はゆっくりと鍵盤に手を伸ばすが、三人に気づくと、ふっと姿を消してしまう。
4. レオの恐怖と決断
「あ……! 消えた……」
ソウタが茫然として呟き、ナオキはメガネを外して目を擦る。幻覚かと思ったが、三人とも同じものを見た以上、それが単なる勘違いでないことは明らかだ。レオは心臓の鼓動が激しくなるのを感じながら、床に力を込めて踏みしめる。ここで逃げ出したくなる衝動を抑え込まなければならない。
「お、俺……行くぞ」
そう言い放ったレオがピアノに手を伸ばそうとした瞬間、背後から強烈な寒気が襲い、風のようなものがレオの身体を押した。バランスを崩して尻もちをつき、思わず短い悲鳴をあげる。ナオキとソウタは慌ててレオを支え、前のめりにならないよう踏ん張るが、少年たちの恐怖は頂点に近づいていた。
やめるべきか、逃げるべきか――頭をかすめるが、レオは意を決するように立ち上がる。昔から好奇心旺盛で怖いもの知らずに振る舞っていたレオだが、本当はいつも内心で葛藤している。それを乗り越えなければ、仲間を守り、元の世界に戻ることはできない。
「怖い……けど、やるしかない。ここで逃げても、また同じだろ?」
ナオキとソウタの視線を受け、レオは弱々しくも笑ってみせる。ソウタは涙目でうなずき、ナオキは一言「それな」と小さく答えた。
5. ピアノの前での対峙
三人は改めてピアノの前に腰を下ろした。鍵盤は相変わらず埃まみれだが、先ほどの少女が叩いた部分なのか、一部だけ指の跡がついているように見える。レオは楽譜の断片を譜面台に置き、震える手で鍵盤をそっと触れた。
「……弾いてみるか」
短い言葉に、ナオキとソウタは戸惑いの表情を浮かべるが、誰も止めようとはしない。もし楽譜の通りに弾いて、幽霊が望む曲を奏でられたら、何かが変わるかもしれない――そう信じているからだ。
最初の音を鳴らした瞬間、音楽室の空気がまた変わったように思えた。埃が舞い、鍵盤は調律の狂った音を出すものの、レオの手は止まらない。彼は昔ピアノを習っていたわけではないが、見よう見まねで楽譜をなぞりながら音を紡ぐ。ナオキが懐中電灯で譜面を照らし、ソウタは肩を寄せ合ってその姿を見守る。
とぎれとぎれのメロディは、曲と呼ぶには程遠い。しかし、鍵盤を叩くたびに、先ほどの少女の気配がどこかに潜んでいるように感じられた。闇の奥で微かな影が揺らめく。視線を感じる。だが、レオは続ける。心臓の鼓動を抑えながら、恐怖を飼い慣らすかのようにキーを押し下げていく。
6. 少女の姿と一歩の成長
不意に、背後から誰かがレオに手を重ねてきた気がした。ギョッとして顔を上げるが、そこには誰もいない。代わりに、かすかな温度のようなものがレオの指先に移った。
「……ありがとう」
声にならない声が、レオの耳に届く。それは空耳か、それとも本当に少女が囁いたのか。レオは思わず涙が出そうになるが、ぐっと堪えて最後の鍵盤を叩いた。
曲は未完成のまま終わり、静寂が戻る。ソウタは言葉を失っており、ナオキは呆然と立ち尽くしている。だが、三人は確かに感じていた。いま、この音楽室に“誰か”がいた――。
レオは恐怖を乗り越えた達成感と、まだ果たされない使命感の間で複雑な想いを抱く。少女の思いを解き明かし、曲を完成させなければいけない――そして、それが鏡の世界から抜け出す鍵になるかもしれない。
ピアノの前での対峙を終えた三人は、深いため息をつき、わずかに微笑み合う。恐怖のど真ん中で踏みとどまり、曲がりなりにも向き合ったレオの姿は、ほんの少しだけ大人びて見えた。次なるステップは、幽霊が求めている曲を完成させること。少女の本当の思いを知ること。
そうして、ソレナトリオの鏡の世界での冒険は、次の扉へと進んでいく――
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