――黒川先生とのわだかまりは、形だけの和解に留まったまま。
それでも篠田晃(しのだ あきら)先輩は、足の痛みを押してインターハイ予選への出場を決意した。
部顧問が謹慎処分で姿を消すなか、
傷ついたキャプテンと、サーフィン部の仲間たちはどんな一日を迎えるのか。
「足を壊してでも挑む」篠田先輩と、
「もう止める資格はないが、見守りたい」黒川修二(くろかわ しゅうじ)先生。
“挑む者と見守る者”――
果たして彼らは、最後にどんな景色を見るのか。
1. 大会当日の朝――熱気と不安
インターハイ予選当日の朝。
いつもより少し肌寒い海辺に、サーファーたちが次々と集まってくる。
応援の生徒や家族、友人が賑わい、浜辺は独特の熱気に包まれていた。
サーフィン部の一行も早朝から集合し、テントを張ったり荷物を運んだり、慌ただしく準備を進める。
篠田先輩は足首にしっかりテーピングを巻き、痛み止めの薬を飲んだ状態。
その顔には焦りと覚悟が混ざり合い、常に険しい表情を浮かべている。
「先輩、冷却スプレーとアイシングバッグ、一応ここに置いときますから」
マネージャーの橘ひなた(たちばな・ひなた)が慌てて道具を並べる。
先輩は「サンキュ」と短く返し、ウェットスーツに着替えるために車へ向かう。
足を引きずるような動きが痛々しいが、本人は気丈に振る舞っている。
航平――俺は友人の大谷知樹(おおたに・ともき)と一緒に、
テントの設営や荷物の管理を手伝いながら辺りを見回す。
大勢のサーファーが周囲でストレッチし、スーツ姿で海へ入ったり出たりしている。
インターハイ予選とはいえ、レベルの高い選手が多く集まるし、
篠田先輩と同じように「勝ちたい」と思うライバルが何十人もいるはずだ。
「先輩、あの足で本当にやれるのかな……」
大谷が小声でこぼす。
航平=俺も胸が締めつけられる思いだ。
「今さら止められないよ。
先生なら最後まで止めたかもしれないけど、謹慎処分でいないし……。
せめて怪我が悪化しないように祈るしかない」
大谷は唇を噛み、「そうだな……」と苦い表情で同意する。
二人とも不安でいっぱい。
それでも“決断した”先輩を応援するしかないのが現実だ。
2. こっそり姿を見せる黒川先生
大会が始まる直前、
テントの外れから、スーツ姿でも作業着でもない私服姿で立っている男性を航平は見つけた。
...... teacher" (en anglais)
間違いない。謹慎中で部活には来られないはずの黒川修二(くろかわ・しゅうじ)先生が、遠巻きに砂浜を見つめている。
顔はやつれており、帽子を深く被って周囲に気づかれないようにしているが、
その視線の先には、テーピングで足を固めた篠田先輩の姿がある。
(やっぱり来たんだ……先生)
航平は心の中でそう呟き、先生に近づこうとしたが、
先生は気づいたのか静かに頭を振り、
「話しかけないでいい。俺はここで見守るだけだ」と言わんばかりの仕草。
ひなたも遠目で先生の姿に気づき、
「やっぱり先生……。
先輩の応援に駆けつけてるんだね」と小声で言う。
大谷や沙季(かわくぼ さき)先輩も視線を送りながら、それ以上は何も言わない。
先生は「資格がない」と言いながらも、最後まで“見守り”をしに来たのだろう。
3. 篠田先輩、ヒート順を確認
大会は複数のヒート(組)に分かれて進行する。
篠田先輩は後半のヒートにエントリー。
沙季先輩は少し早めのヒートらしく、それぞれがタイムテーブルをチェックしている。
「よし……俺の出番は午後か。
それまで足をなるべく温存して、痛みを抑えとく。
……ふぅ」
先輩がテントに戻り、タオルで汗を拭く。
痛み止めはもう飲んだらしく、「早くも効かなくなってきたかも」と苦い顔をしている。
ひなたが「追加の薬、飲みすぎないでくださいね」と心配するが、先輩は「うるさい」と一蹴。
イライラが募っているようだ。
沙季先輩は淡々と自分の準備を整え、
「先輩、あんまり焦らずになさいよ。足が動かないなら動かないなりの作戦があるでしょ」と投げかける。
先輩は鼻を鳴らす。
「作戦も何も……足が痛いんだから、技なんてまともに出せねえよ。
でも俺はやるだけやる。最悪、転んで終わるかもしれないが、後悔だけはしない」
その言葉に、周囲はまた沈黙。
“後悔だけはしない”――それは先生に対する言葉でもあるようだ。
「止められるもんか」と固く誓っているかのように見える。
4. 沙季先輩、さすがのライディング
大会が始まり、順番に各ヒートがスタートしていく。
会場のアナウンスが大きく響き、観客席からも応援や歓声が飛ぶ。
沙季先輩のヒートは中盤。
軽やかにパドルし、波を捕まえたときの動きは実に華麗で、周囲からも大きな拍手が上がる。
さすが全国レベルを狙う才能というべきか、軽やかなターンを連続で決め、
アナウンスが「川久保、ナイスライディング!」と盛り上がるのが聞こえてくる。
ひなたや大谷は「すげえ……やっぱ格が違う」と感嘆の声。
航平も初めて見るガチな試合の空気に震える。
そんな華麗な演技を横目で見ている篠田先輩は、ボードを抱きしめたまま無言。
足の痛みで集中できないのか、視線がどこか宙に泳いでいる。
「先輩……大丈夫ですか?
休憩スペース行きましょうか?」
ひなたが声をかけると、先輩はフッと短く笑う。
「いや、ここでいい。
沙季、すごいじゃん……あいつはあいつで本戦狙ってるし。
俺は俺でやるだけさ。
正直、体が動く気がしないが……」
その呟きに乗って、沙季先輩は高得点を連発し、無事に予選通過を決めた様子。
一方で篠田先輩は、ますます緊張と痛みに苛まれ、焦りばかりが募る雰囲気。
5. 先生の存在――視界の片隅
航平が辺りを見回すと、さっき遠くにいた先生が移動してきたのか、
少し近い位置から大会を見守っているのがチラリと見える。
帽子を被り、顔を隠すようにして立っている。
誰も気づかないように遠巻きだが、間違いなく先輩を意識しているのがわかる。
(先生も本当は必死に止めたくて仕方ないんだろうな……
でも、すでに盗難なんてやらかした後じゃ、口出しできないし。
何もかもが手遅れだ)
苛立ちを抱える航平だが、今は大会運営に部員として協力し、篠田先輩を支えるのが最優先。
そう思って心を落ち着ける。
6. 篠田先輩、ヒート直前――足が悲鳴
午後、ついに篠田先輩のヒートが近づく。
彼は足をテーピングで重ね巻きし、痛み止めを追加で飲み、なんとか動かせる状態を作る。
ひなたや航平が「もうやめよう、無理すぎる」って言いたい気持ちを必死に抑える。
先輩はウェットスーツ姿に着替え終わり、ボードを脇に抱え、静かに浜辺を歩く。
一歩踏み出すごとに表情が歪むが、「まだ動く」と自分に言い聞かせるように踏ん張る。
大谷が小声で「こんなんでライディングできるのか……」と呟き、
ひなたは涙ぐみそうになる。
沙季先輩は別のヒートを終えたばかりで「先輩、あまり無茶しないように。
波がそこそこ大きいから、痛みを感じたらすぐにリタイアも検討して」と助言するが、先輩は聞く耳を持たない。
「リタイア? 冗談言うなよ。
俺は最後まで……行くんだ」
(すごい執念だ……本当に命がけだ。
先生がどこかで見てると思うと、余計に気持ちが荒ぶるのかもしれない)
航平は歯を食いしばる。
どうにか止められないものか――いや、もう止まらない。
先輩の視界には「今しかないチャンス」以外の言葉は届かない。
7. ヒート開始――痛みを抑えて波へ
篠田先輩が出場するヒートが呼ばれ、
ウェイティングエリアに集合。
周囲の選手たちは足取り軽やかに海に向かっていくが、先輩は明らかに歩くスピードが遅い。
マネージャーのひなたが「頑張ってください……」と声を掛けると、先輩は頷く。
「みんな、悪いな。
こんな状態で出場して、結果を残せるかもわからないけど……俺は後悔したくないんだ」
そのひと言に、部員たちが押し黙る。
止めたい気持ちと、応援したい気持ちが混じって誰も言葉が出ない。
先輩は痛み止めの封を開き、最後の一錠を口に含む。
ボードを抱え、波へと入っていく。
観客席を見やると、遠くにいる黒川先生の帽子のツバが動き、何かを見ているのがわかる。
先生も息を飲んでいるはずだ。
あれだけ必死に止めた先輩が、足を引きずりながら海に入っていく姿。
何を感じているのだろう――と考えると胸が苦しくなる。
8. ライディング――痛みと戦うキャプテン
スタートの合図が出ると、ヒートの選手たちが一斉にパドルで沖へ。
篠田先輩も踏ん張れない足を何とか使いながら必死に腕を動かしている。
周りの選手と比べてスピードが遅いが、必死さが痛いほど伝わる。
観客席や浜辺から「篠田がんばれー!」という声援が飛ぶ。
部員たちも大声で名前を叫び、ひなたはタオルを握りしめ涙を浮かべている。
最初のセットが来る。
先輩は波を捉えようと立ち上がるが、足が思うように動かず、テイクオフのタイミングを逃す。
「ああ……」と周りが落胆する中、先輩は何とか粘るようにパドルを続け、次の波を狙う。
次の波でテイクオフ――
よろけながらもボードに立ち、足に激痛が走っているのが遠目にもわかるが、必死にバランスを取りライディングを試みる。
「頑張れ……!」
航平や大谷が拳を握って祈る。
だが、ターンを入れた瞬間、足に力が入らないのか、先輩は大きくバランスを崩し海面へ叩きつけられる。
白いスプラッシュが上がり、先輩の姿が見えなくなる。
ひなたが「きゃっ……!」と悲鳴に近い声。
心臓が凍る思いで、みんなが目を凝らす。
数秒後、先輩が海面に浮かび上がり、ボードを掴む姿が見えた。
辛そうに顔を歪めているが、手を振って「大丈夫」と合図している。
(見てられない……でも、止められない)
観客席にも同情の声が広がり「足、怪我してるんだよね?」「無理しすぎでは?」などとひそひそ話が聞こえる。
黒川先生はどう思っているのか――遠くで帽子を被った姿が動かずに固まっているようだ。
9. なお続くチャレンジ――痛みを押して
先輩は再びパドルを開始。
口元を押さえ、痛みで顔が青ざめているが、それでも諦めない。
時計を見ると、ヒート残り時間はそんなに多くない。
せいぜい波を3回か4回捉えられればいい方だろう。
二度目のテイクオフ。
必死に立ち上がり、わずかに滑るがターンが入らない。
波のパワーを生かしきれず、すぐに失速して落ちる。
それでも周囲からは拍手が起こる。「よくやった!」と。
先輩は海の上でうずくまるように痛みに耐えながら、さらに3度目を狙う。
時間が少ない中、果敢にパドルし、何度もトライ――しかし、足が動かずに失敗続き。
限界が近いのが明白。
それでも止めようとしない姿に、涙する観客もいる。
「先輩、もういい……」
ひなたが思わず声に出すが、届かない。
航平や大谷も目を覆い、「これ以上は……」と苦しそうだ。
10. 残り時間――最後の大波
ヒート残りわずか。
大きめのセットが入り始めて、周囲の選手も狙いに行く。
先輩も懲りずにテイクオフ体勢。
足に力が入らないため転倒のリスクは高いが、このラストチャンスを逃せば得点にならない。
「行け、先輩……!」
大谷と航平が拳を握りしめる。
ひなたは祈るように掌を合わせ、沙季先輩は歯を食いしばって見守る。
やがて先輩が波を掴んだ。
立ち上がりは不安定だが、ここで何とか踏ん張って進む。
ボードが波の斜面を滑り始めると、観客が一斉に「おおーっ」と沸き立つ。
「乗った……!」
少しだけターンに入ろうとするが、足が悲鳴を上げるのか、動きが鈍い。
それでも必死に重心を移動し、ギリギリバランスを保つ。
もしかして、このまま行けるのか?
観衆の期待が高まる一瞬。
だが、波のパワーゾーンに合わせる際、また激痛が走ったのか、先輩がよろめいた。
“ドバァン”――
無情にも大きく転倒し、白い水しぶきが上がる。
先輩の姿は再び飲み込まれ、浜辺からは悲鳴にも似た声が上がる。
「あぁ……!」
ひなたが叫ぶように駆け出しそうになる。
航平たちも絶句しながら見守る。
11. リタイアか――足の限界
しばらくして先輩が浮上。
痛そうに表情を歪め、ボードを掴んで咳き込んでいる。
ライフセーバーが近づきそうな勢いだが、先輩は首を振って「大丈夫」と合図しているのが見える。
しかし、その姿は誰が見ても限界だ。
周りの選手がライディングを続ける中、先輩は海の上で動けないように見える。
アナウンスが「篠田選手、大丈夫でしょうか……」とマイク越しに気遣う声を出したところで、
先輩は波間を漂うようにして、ゆっくり岸へ向かう。
浜辺で待つ部員たちがタオルや応急処置の準備をして迎えに走る。
「先輩……! もう時間がない。上がりますか!?
無理しちゃだめだよ!」
ひなたが泣きながら声をかけると、先輩は苦い顔で頷く。
「……足が動かねえ……正直、続けられそうにない。
クソッ……俺、やっぱり何もできないまま……」
言葉にならない悔しさがにじみ、先輩はボードに崩れ落ちるように座り込む。
12. 先生の姿――“見守る”だけ
周囲の観客がざわめくなか、航平や大谷が先輩の両脇を支えてテントへ運ぶ。
足首はもう感覚が薄いのか、先輩は痛みに耐えて唇を切りそうなほど噛んでいる。
ひなたや他の部員が必死にアイシングのセットをするが、先輩は苦しげにうめき声を上げるだけ。
まともに歩ける状態ではなく、これは事実上リタイアだ。
(もうダメだ……先輩、足が限界。波には勝てなかったのか)
と誰もが痛感する。
応援席からは落胆の声と同情の声が混じり、競技は続行される。
そのとき、遠くの観客の中で、黒川先生が動いた気配があった。
“もう見ていられない”という感じなのか、
帽子を深く被って、踵を返し去っていくのが見える。
(先生……最後まで止める資格はなくても、どう思ったんだろう。
先輩があんな状態で苦しんでる姿を目の当たりにして)
航平の胸中に込み上げる。
止めようとして失敗し、今日まで来た。
その結果、篠田先輩は痛みに潰されてしまった――
“見守る”しかできなかった先生の苦悩はいかほどか。
13. 篠田先輩の一言――後悔はしない
テントの中、先輩は足にタオルを巻いたまま倒れ込みそうになっている。
部員数名が心配で声を掛けるが、先輩は苦笑して「悪いな……みんな……」と呟く。
「足が痛くて立てねえ。
やっぱりダメだったか。
でも、後悔はしてないよ。やれることはやったから……」
その言葉に、ひなたの涙が止まらない。
「先輩……痛いでしょう? 本当はもう足が限界なんじゃ。
救護室、医務テントへ行きましょう!」
先輩は力尽きたように身体を預けながら、小さく息を吐く。
「医務テント……そうだな、行こう。
……ごめん、みんな。こんなボロボロで」
“後悔はしてない”という言葉が重く響く。
黒川先生が望んだ“安全”はここにはない。
先輩は負傷した足で強行し、一瞬の華を見せることすらできず散った。
それでも本人は納得している――苦い結末だが、それが篠田先輩の選んだ道。
14. 痛みの先にあるもの
こうして、篠田先輩はインターハイ予選をほとんど戦えずに終わった。
足はひどく痛み、医務テントへ運ばれていく。
顧問・黒川先生は観客席の片隅で密かに見守り、先輩が転倒する姿に胸を締めつけられながらも――
結局、声を掛けずに会場を後にした。
「これが、先生が必死に止めた結末……。
篠田先輩は一度も満足に波に乗れないまま終わった。
でも、後悔はしないって、本当に言い切れるのか?」
部員たちは誰もが疑問と悲しみを抱きつつ、先輩に付き添う。
沙季先輩はひとまず予選を突破し、本戦への切符を掴んだが、気持ちは喜びきれない。
ひなたや航平も、止められなかった無力感で苦しい。
先生が会場を去ったのをちらりと見かけても、追いかける術はなかった。
“挑む者と見守る者”――
結果だけ見ると、痛みで倒れた先輩と、その姿を見守るしかなかった先生。
だが物語はここで終わらない。
足を痛めた先輩の今後、謹慎中の先生の去就、そしてサーフィン部の行方……
すべてはまだ途中だ。
「まだ先輩は人生を諦めたわけじゃない。
先生も、本当の意味で生徒を捨ててはいない――」
そんな希望を、航平は心の片隅で信じたい。
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