――夜の校舎で、足の痛みをこらえきれず倒れ込んだキャプテン・篠田晃(しのだ・あきら)先輩。
そんな彼を発見した俺たち(相沢航平・大谷知樹・橘ひなた)と、生徒会長の桐生瑞貴は、
そこへ駆けつけた顧問の黒川修二(くろかわ・しゅうじ)先生とともに、
先輩を保健室へ急いで運んだ。
あの場の光景は、まるで事故現場を目撃したような衝撃だった。
篠田先輩はインターハイ予選目前にも関わらず、右足の激痛でまともに歩けない様子。
しかも夜の学校で、先生に対する強い不信を吐露する姿が痛々しくて――
保健室の扉を開け、先生が電気を点けて手早く室内を確保する。
既に当直の先生(養護教諭)は退勤している時間帯だが、幸い応急処置の道具や湿布、包帯は揃っていた。
「ここに寝かせろ。無理に動かすと危ない」
黒川先生が事務的かつ素早い動きでベッドを整え、篠田先輩を横たえる。
「うう……くそっ……」
先輩は脂汗を浮かべ、呼吸も荒い。
ひなたが「大丈夫ですか」と声をかけると、先輩は苦しげにかぶりを振った。
「足が……思うように動かせない。痛みが増してる。
こんなときにボードがあれば……いや、違うか……」
先輩の言葉が途切れ途切れになり、俺たちも動揺を隠せない。
大谷が「救急車呼んだほうがいいんじゃ」と提案するが、先生は首を横に振る。
「落ち着け、骨折の疑いがあるならともかく、ひどい捻挫や靭帯への影響かもしれない。
とりあえず一晩、アイシングして安静にして、明日病院で精密検査を受けるのが妥当だ」
「でも先生……」
ひなたがなおも不安げに言いかけたところへ、桐生先輩がスッと割り込む。
「私が話をつけておくわ。明日の朝イチで病院に連れていくことを、学校のほうでも手配します」
「助かります」
先生が短く礼を述べ、再び篠田先輩の足に冷たい湿布をあてがい固定を始める。
(こういう時の先生はやっぱり頼もしい、というか手際が良いな……
サーフィン部の顧問で、昔は自分も怪我を経験しているせいか、処置に慣れているのだろうか)
胸の奥に、微妙な感情が渦巻く。
“ボードを盗んだ犯人かも”と囁かれる一方で、こうして苦しむ生徒を必死に救おうとする姿は、やはり教師らしい。
...... Lehrer
あえて口を開くと、先生は黙ったまま先輩の足を固定し続ける。
キリキリと締める包帯の音がやけに耳につく。
「どうしてこんな時間に校内にいたんですか?
何か用事が……あったんですよね?」
隣で大谷とひなたも同じ疑問を抱いているようだ。
夜の学校には当然出入り制限があり、教師だからこそ入れはするが、
それでもこの時間帯(夜7~8時過ぎ)にいるのは珍しい。
「……仕事の残りがあった。職員室に一度戻らなくちゃならなくてな」
あくまで平静を装って返事をする先生。
しかし、その視線はわずかに揺れている気がする。
職員室の鍵、物置の鍵――このあたりはやはり“事件”に関係しそうだ。
'Lehrer ......'
篠田先輩が、うわごとのように声を出す。
「やっぱり……あんたが……俺のボードを――」
「バカ言うな、今はそんな話は後回しだ!」
先生の声が一段高くなり、先輩も「くっ」と悔しそうに唇を噛む。
まるで口論になりかける危うい空気。
ひなたが必死に「先輩、無理しないで」となだめるが、先輩は抑えきれない苛立ちをにじませる。
「先生が俺を守りたいとか、そういう理由なんだろ?
昔、プロサーファーの道を絶たれたんだっけ……。
だから俺の足も、同じ目に遭わせたくない――
だったら、いっそ正直に認めろよ!」
その言葉に、先生の表情がはっきり強張った。
「お前、どこでその話を……」と小さく呟く。
桐生先輩が用意した資料で、俺たちが黒川先生の過去を知ったことは、先生にはまだ話していない。
篠田先輩はどこかから別ルートで耳にしたのかもしれない。
「お前ら、先生の過去を……?」
先生が鋭い視線をこちらに向けると、ひなたがオドオドしながら「すみません、
でもネットや古い資料で……先生が怪我をした過去を知ってしまいました」と告白する。
「……そうか」
先生は一瞬うつむき、静かに息を吐く。
「たしかに俺は、高校時代に大怪我をしてサーフィンの道を断念した。
だが、それを理由にお前のボードを盗むなんてこと、あるわけないだろ」
篠田先輩はくぐもった声で笑う。
「それじゃ、どうしてあの夜、物置の鍵を……
って、証拠も何もない。
俺が言っても仕方ないけどさ」
言葉の端々に、もはや自暴自棄な色が見え隠れする。
先生はそんな先輩に向かって、「とにかく休め。今は足を治すことが先決だ」と語気を強める。
(先生は“盗んでいない”と言うけど、篠田先輩は信じられない。
両者が完全に対立する状況、どうすれば溝が埋まる?)
大谷が辛そうな表情で、ひなたは目に涙を浮かべながら静かに見守る。
桐生先輩は何かを言おうとするが、そのタイミングを失っているようだ。
すると、不意に保健室のドアが開いた。
入ってきたのは警備員の男性だった。
「おや、桐生会長と先生、まだいたのか。
すみません、そろそろ校内施錠の時間なので、
あまり長く残られると困るんですが……」
どうやら外が暗くなるまでに、主要なエリアは施錠することになっていたらしい。
篠田先輩の具合が落ち着いたら退校するように言われる。
「わかりました。篠田くんは足を痛めているから、
車椅子か何か用意をお願いしてもいいですか?」
桐生先輩がすぐ警備員に依頼し、手配してもらうことに。
一連のやり取りの間、先生と篠田先輩は言葉を交わさないまま、
ただ険悪な空気が漂っていた。
(何か、このままじゃ何も解決しない……)
俺は歯がゆい思いで保健室の壁を見つめるしかなかった。
◇◇◇
2. 病院での診断と“大会”への焦り
翌朝、桐生先輩の手配で、篠田先輩は病院で精密検査を受けることになった。
俺たちも授業後に病院へ見舞いに行こうとしたが、先輩は「来なくていい」と素っ気ない。
仕方なく、大谷とひなたは連絡を取り合いながら、部室で部員らに事情を説明することに。
そして放課後――
ひなたが病院へ電話をかけ、篠田先輩の診断結果を聞き出した。
「足の靭帯を痛めてるって……しばらく練習は無理だって」
泣きそうな声でひなたが報告する。
この段階でインターハイ予選まで残り1週間もない。
練習以前に、ボードが見つからないままでは試合に出ることすら不可能だ。
「篠田先輩、マジで大会厳しいじゃん……」
大谷が頭を抱え、部室にいた部員たちも沈黙。
川久保沙季(かわくぼ・さき)先輩は、苦い表情を浮かべてうつむく。
「私だって、篠田先輩と一緒にインターハイ本戦に行きたいのに……
怪我の再発、ボードの盗難……何なのよ、一体」
苛立ちを隠せない彼女の言葉に、誰も返す言葉がない。
(どうしてこんなにも最悪なタイミングばかり重なるんだろう)
空気が重たく沈む中、ひなたはそっと拳を握る。
「でも、まだ……試合まで完全に諦めるのは早いよね。
足が怪我でも、場合によっては痛みを抑えて出場する方法があるかも……」
「そこまでして出る意味があるのかな。
結果的に将来を棒に振る危険もあるし……」
ある部員が漏らした言葉に、ひなたも返せなくなる。
ちょうどそこへ、黒川先生が部室を訪ねてきた。
「篠田の診断結果は聞いたか? 靭帯への負担が大きいらしいな」
「はい……もうダメなんでしょうか、先生」
ひなたが絶望的な目で問うと、先生は少し複雑そうにかぶりを振る。
「最終的には本人と医者の判断次第だが、少なくとも今は安静が必要だ。
大会当日に強行出場する可能性がないとは言えないが……リスクは大きい」
(先生も、本当は先輩が無理をするのを止めたいんだろう)
どこか冷たいようにも聞こえるその言葉の裏には、過去のトラウマがある。
部員たちは「そりゃ先生はそう言うだろうけど……」という表情。
重苦しい空気のまま、練習に行こうという気力も起きず、解散ムードが漂う。
先生が部室を出ようとしたとき、大谷が意を決したように声をかけた。
「先生……ちょっといいですか?」
「なんだ」
「夜に、また倉庫や校舎を調べさせてほしいんです。
ボードが見つかるかもしれないし、“不審者”の噂もありますし」
先生は、あからさまに警戒心を浮かべる。
「前回、俺が一緒に調べたときは特に収穫がなかっただろう」
「でも、噂では“再び誰かが忍び込んだ”って話も聞きます。
それが犯人じゃないかと思うんです」
「……俺が付き合える保証はないし、生徒だけで夜間に校舎を回るのは危険だ」
先生の声は低いが、どこか迷いが混じっている。
ひなたが「桐生先輩も協力してくれるかもです」と言い足すと、
先生は驚いたように眉を上げる。
「桐生が……」
たしかに、生徒会長の権限を使えば、夜の校舎巡回ができなくもない。
警備員さんにも連絡を入れれば、無駄に通報されることも避けられる。
「……自由にすればいい。俺は何も保証しないし、
万が一トラブルになっても知らないぞ」
先生は吐き捨てるように言い残し、出て行く。
何だか、先生自身も苦しんでいるのか、追い詰められているのか……複雑な表情だった。
(もしかして、先生は隠し事を抱えているせいで、
一緒に巡回するのが気まずいのかもしれない)
そう思うと胸がざわついた。
だが今は、俺たちができることをやるしかない。
大谷やひなたの決意も固まっている。
――ボードの行方、夜の不審者、先生の過去、
すべてにケリをつけないと、篠田先輩は救われない。
◇◇◇
3. 沙季の焦りと“疑う視線”
その後、部室に残っていた川久保沙季先輩が、意を決したように俺とひなたに話しかけてきた。
「……あのさ、私も夜の校舎を探すのに付き合っていい?」
「え、沙季先輩?」
意外な申し出に驚くと、沙季先輩は険しい顔で言葉を継ぐ。
「篠田先輩がこんな状態で、ボードも見つからないままじゃ、
私も大会がどうなるかわからない。
だったら、自分で真相を掴みたいの」
「先輩、危ないかもしれないし……本当に大丈夫ですか?」
ひなたが心配そうに尋ねるが、沙季先輩は首を振る。
「怖いって気持ちはある。でも、もうそれどころじゃないの。
このままじゃ部活が終わるし、私も精神的に限界……」
その瞳には、強い決意と焦燥が見えた。
俺たちは顔を見合わせ、小さく頷き合う。
――彼女がそこまで望むなら、一緒に行動するのも悪くない。
「わかりました。じゃあ、日程を合わせて桐生先輩に掛け合ってみますね」
「うん、頼む」
沙季先輩は短く返事をし、部室を出て行く。
彼女の背中は“何とかしたい”という必死さに満ちていた。
(才能あると言われ続けてきた沙季先輩も、
篠田先輩の不在やこの事件でプレッシャーを抱えてる。
みんな、ギリギリの精神状態だな)
部室にはひなたと大谷、そして数名の部員が残るのみ。
ひなたは深く息を吐き、ゆっくりと口を開く。
「じゃあ、桐生先輩に相談して、改めて夜の校舎巡回を計画しましょう。
今度はちゃんと時間を確保して、職員室や倉庫周辺もくまなく見る」
「ああ。これで何も手がかりなかったらどうしよう……」
大谷が弱音を漏らすが、ひなたは微笑もうとして失敗し、わずかに震えた声で言う。
「でも、やるしかないよ。みんなで協力すれば、きっと何か分かるはず」
俺も大きくうなずきながら、その場を締めくくる。
事件の核心が近づいているのかどうか、不安は大きい。
だがもう後がないと感じていた。
◇◇◇
4. 繰り返される闖入と、教師の苦悩
翌日、予想もしなかったニュースが耳に飛び込んできた。
「また夜の校内に不審な人影があった」という警備員の報告だ。
しかも今度は、倉庫ではなく体育館裏を徘徊していた形跡があるという。
「体育館裏……前は校舎裏だったよね」
ひなたが混乱している。
「一体何が目的なんだろう?」と大谷も首をかしげる。
俺もさっぱり見当がつかない。
(ボードが移動させられているのか?
それとも犯人は単に校内を夜中にさまよっているのか……?)
だが、これで夜の巡回計画に弾みがつく。
桐生先輩に報告すると、「よし、今度こそ本格的に調べましょう」と力強く請け負ってくれた。
そんな中、黒川先生は部室に顔を出さず、職員室で黙々と書類を処理しているらしい。
「先生が本当に盗んでるなら、夜の不審者が先生なのかも……」
そんな疑問も浮かぶが、確証はなく、下手に問いただすこともできない。
しかし俺たちは決意した。
次の夜――警備員と桐生先輩の協力のもとで、
もう一度真夜中の校内を徹底的に捜索し、犯人またはボードの在処を突き止める。
川久保沙季先輩も参加したいと言っているし、万全を期して臨むしかない。
(これが最後のチャンスだ。
篠田先輩は足の怪我で出場が絶望的かもしれないが、
もしボードが取り戻せれば、まだ何か可能性があるはず。
黒川先生だって、何か言いそびれてることがあるかもしれない)
――そして、その夜。
俺たちはふたたび暗い校舎へ足を踏み入れることになる。
桐生先輩による正式な許可があるので、警備員さんも承知のうえだ。
体育館裏で不審者が出たとされる場所から調査を開始。
もしそこに何か手がかりがあれば、犯人の動機も読み解けるかもしれない。
篠田先輩の足は悲惨な状態で、来られるはずもない。
先生は姿を見せないが、正直、先生自身も疑惑の対象なのが現状だ。
大谷とひなた、そして沙季先輩、桐生先輩、俺の5人で、懐中電灯を片手に闇を行く。
「……本当にいるのかな、不審者」
大谷が小声で呟く。
ひなたの手は震えているが、沙季先輩が前を歩き、意外と堂々としている。
「もう怖いもんなんてないよ。やるだけやる」と小さく息を吐いて。
「みんな、物音に注意して進もう」
桐生先輩が静かに合図を送る。
体育館裏には、倉庫や器具室が並んでいるが、基本的には鍵がかけられているはず。
門灯の淡い光が地面を照らすなか、俺たちは足音を殺して先へ進む。
(頼む、何か掴ませてくれ……この不審者がボードを隠した犯人なら、一気に解決まで行けるかも……!)
鼓動がドクドクと高まる。
振り返れば、ひなたも大谷も張り詰めた顔。
沙季先輩の目は鋭く、桐生先輩は冷静な表情を保つ。
すると、不意に器具室のほうからガタン……と音がした。
「今の……何かが倒れた音?」
大谷が身構える。
桐生先輩は「行きましょう!」と小声で言い、俺たちはそっと音のしたほうへ近づく。
ドクン、ドクン、ドクン……心臓がうるさいくらい鳴る。
夜風が吹き込み、肌寒ささえ感じる。
器具室のドアは鍵がかかっているように見えるが、
金属の蝶番が歪んでいるのか少し開いていて、中に光が動いた気がする。
(いる……誰かが中にいる!)
声を出さず、慎重にドアを引いてみる。
すると、かすかにライトの明かりが見え、そこには――
「……え? あなたは……!?」
驚きの声がひなたの口から漏れる。
そこにいたのは、まさかの人物――
部活を辞めたはずの元部員(※名前は伏せられているが、モブとして示唆されていた)
が、焦った様子でこちらを振り向く。
その手には、何やら大きな袋のようなものが握られていて……。
「な、何で……」
沙季先輩が絶句する。
桐生先輩も目を見開き、「あなた、なんでこんな所に……」と息を呑む。
夜の器具室。
まさかの人物が、何かを隠そうとしていたのか、取り出そうとしていたのか……
ドアを開けたまま、俺たちを睨むように立ち尽くしている。
(こいつが、ボードの犯人なのか……?)
混乱と衝撃で頭が回らないまま、真夜中の現場で一触即発の状況が始まろうとしていた。
◇◇◇
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