――夜の倉庫捜索は、ほとんど成果を得られないまま終わった。
古いサーフショップの部品が見つかったり、床に何かを引きずったような跡があったりはしたが、
結局“消えたボード”の行方はつかめず、
怪しい足音すらも正体を確かめられないまま。
そんな状況下で、サーフィン部の雰囲気はますます悪化の一途をたどっていた。
キャプテン・篠田晃(しのだ・あきら)先輩は足の怪我を隠すように登校自体を減らし、
川久保沙季(かわくぼ・さき)先輩は大会前にまともな練習ができないことに苛立ちを募らせる。
部員たちのモチベーションは急降下し、
マネージャーの橘ひなた(たちばな・ひなた)ですら「どうしていいかわからない」と嘆く始末。
そして、顧問の黒川修二(くろかわ・しゅうじ)先生。
大会に向け本来は指導しなければならない立場なのに、
なぜか、かえって部の空気がギスギスするのを止められずにいる。
その背後にあるものは何なのか――
俺、相沢航平(あいざわ・こうへい)は、
大谷知樹(おおたに・ともき)とともに、少しずつその真相に近づこうとしていた。
◇◇◇
1. 放課後の不穏な部室
週明け。
サーフボード盗難事件から数日が経つが、依然として進展はない。
それどころか、部員の出席率はどんどん低下し、
“すでに退部を考えている”という噂も絶えなくなった。
放課後、サーフィン部の部室を訪れると、ひなたが一人きりで呆然と座っていた。
「……ひなた?」
俺が声をかけると、ひなたは疲れた笑みでこちらを向く。
「航平くん……来てくれたんだ。
大谷くんは?」
「後から来るみたい。ちょっと教師に呼ばれたとか言ってた」
「そっか……」
ひなたの言葉はどこか沈んでいる。
見れば、サーフボードスタンドがいくつも空っぽになっていて、
あちこちに埃がうっすら溜まり始めている。
「みんな練習をサボってるのかな?」
「ううん。最近、部室に来ても『どうせボードは見つからないし、練習しても気が乗らない』って言って、
すぐ帰っちゃうの」
「そう……」
大きく溜め息が出る。
インターハイ予選を控えているというのに、この停滞っぷりは異常だ。
そのとき、ドアがガラッと開き、クールな表情の沙季先輩が姿を見せる。
「……ああ、いたんだ。ひなたと……相沢くん?」
「沙季先輩、お疲れさまです。今日は練習するんですか?」
ひなたがそう尋ねると、沙季先輩は首を振る。
「正直、今は練習しても集中できないから。
私一人で海に出ても仕方ないしね。
……それより、篠田先輩や先生は?」
「先生は職員室で用事があるって……
篠田先輩は……今日はまだ姿を見ていません」
沙季先輩は無言でかすかに眉を寄せる。
もどかしい空気が、部室を包んだ。
「本当に、このままじゃ……私たち、どうなっちゃうんだろう」
ひなたが呟き、沙季先輩はギュッと拳を握りしめる。
「こんな時期にボードが消えるなんて、不運すぎる。
犯人が部外者か内部かは知らないけど、正直もううんざり。
……ねえ、相沢くん。あなたたち、夜の倉庫を調べに行ったんでしょ?
何か成果はあったの?」
「いや……さっぱりです。
埃だらけで、一応何かを引きずった跡はありましたけど、
篠田先輩のボードらしきものは見当たらなくて」
素直に事実を述べると、沙季先輩は大きく肩を落とした。
「そう、やっぱりね……」とぽつり。
「もし、先生が勝手に隠してるとか、そういう可能性は考えないの?
篠田先輩の怪我を危惧して……とか」
ひなたはハッとした様子で沙季先輩の顔を見る。
俺も胸がドキッとする。
「……沙季先輩も、黒川先生を疑ってるんですか?」
「疑うというか、可能性として。
部外者が鍵を開けるのは難しいでしょ?
だったら、鍵を持っている顧問やキャプテン本人が、一番怪しまれるのは当たり前じゃない?」
淡々とした口調だが、その裏には苛立ちと焦りが見え隠れする。
(これで、篠田先輩だけでなく、沙季先輩までもが先生を疑い始めるのか……?)
微妙な空気の中、沙季先輩はさらに続けた。
「ねえ、ひなた。
先生が昔、サーフィンで大怪我をしたって噂、聞いたことない?
あの人の過去、よく知らないんだけど」
ひなたは驚いた様子で首を振る。
「ううん……私も詳しくは知らない。
昔、プロサーファー目指してたって噂は聞いたけど」
「もしそのトラウマが原因で、篠田先輩に無理をさせたくないとか、そういうのがあるなら理解はできるけど……
盗難なんて手段は正直ありえないでしょ?」
部室には重苦しい沈黙が落ちる。
俺も言葉を挟むタイミングを失った。
(先生が怪我……確かに噂レベルじゃ聞いたことあるけど、真相はわからない)
そこに大谷が慌てた足取りで入ってきた。
「おー、いたいた。みんな揃ってるじゃん」と言いながら、場の空気に気づいて言葉を呑む。
「お、お邪魔かな?」
「いや、ちょうど話をしていただけ。私はもう帰るよ」
沙季先輩がそう言って部室を出て行くと、
大谷は不思議そうに首を傾げる。
「なんかピリピリしてんなあ……
あ、そうそう、オレ、さっき桐生会長に呼ばれて行ってきたんだ」
「桐生先輩に?」
ひなたが目を瞬かせて問い返す。
「うん。先生の過去について、何か教えてくれるってさ」
大谷の言葉に、俺とひなたは驚きで顔を見合わせた。
まさにさっき沙季先輩たちが気にしていた話題。
「先生の……過去、って?」
「詳しくはオレもまだ聞いてないんだけど、桐生先輩が『図書室の古い資料でちょっとした情報を見つけた』って。
『みんなに伝えたいから放課後集まって』って言われた」
「なんだそれ、めっちゃ気になる!」
ひなたの瞳が一気に光を取り戻す。
「桐生先輩、ほんと何でも知ってるよね」と続ける。
「よし、オレらも行くか?」
「うん、行こう行こう! 沙季先輩にも声かけたほうがいいかも……」
ひなたがドアに向かおうとするが、廊下を見ても既に沙季先輩の姿はない。
しかたなく三人で桐生先輩を探しに行くことに決めた。
(黒川先生の過去に何か秘密があるなら、それが篠田先輩のボード盗難に関わっている可能性も……
根拠はないけど、変に納得できる話ではある)
胸の中で期待と不安がないまぜになりながら、
俺たちは部室をあとにした。
◇◇◇
2. 桐生先輩の持つ“古い資料”
しばらく校内を探していると、生徒会室の前で桐生瑞貴(きりゅう・みずき)先輩が待っていた。
扉の前には「関係者以外立ち入り禁止」のプレートがかかっているが、
俺たちを見ると「こっちこっち」と手招きする。
「来てくれてありがとう。
大谷くんには先に少し話したけど、相沢くんとひなたも一緒なら話が早いわね」
そう言うと、桐生先輩はさっと生徒会室に入る。
俺たちも恐る恐るついていくと、奥の机の上に古い切り抜きや書類が並べられていた。
「これは、図書室の過去の新聞や雑誌のスクラップ。
黒川修二という名前でヒットしたものがいくつか見つかったわ」
そこにはサーフィン関連の記事が載っており、
「全国高校サーフィン大会で優勝候補だった黒川修二選手、大怪我で決勝を棄権」などの見出しが目に飛び込む。
「先生、高校時代は相当すごいサーファーだったみたいですね……」
ひなたが食い入るように記事を読む。
大谷も「へええ」と驚嘆の声。
俺はざっと目を通しながら、ふとある文章に目を止めた。
「『黒川選手、関係者の期待を背負い、無理なビッグウェーブに挑んだ結果、足に大怪我』……」
まさに、現状の篠田先輩を思わせるような状況。
周囲からの期待が過度になり、無茶をしてしまったのか……。
「それだけじゃなくて、彼はプロサーファーを目指す話もあったみたい。
でも、怪我が原因でリハビリに専念、その後は競技を離れてしまったようね」
桐生先輩の指が示す別の記事に、
「プロ入り目前の天才高校生サーファーがまさかの事故、将来を絶たれる」といった悲痛な見出しが書かれている。
「つまり先生は、『足の怪我で将来を潰す』という恐怖を、人一倍知ってる人なんですね……」
ひなたが悲しそうに呟く。
大谷は顔をしかめ、「篠田先輩と状況かぶりすぎじゃね?」と低く言う。
――そう、篠田先輩も今、足を痛めている。
それでもインターハイ予選に出たいという意志を持ち、
周囲から止められながらも無理をしようとしている。
「もし先生が、それを見て過去の自分を重ねたとしたら?」
俺が口を開くと、桐生先輩は静かにうなずく。
「そうね。生徒を守りたいあまり、強引な手段に出たとしてもおかしくはない……
あくまで“推測”だけど」
「でも、だからってボードを盗むなんて……犯罪ですよ!」
ひなたが力強く言うが、桐生先輩は「私もそう思うわ」と困った表情を浮かべる。
「信じたくはないけど、もし本当に先生が篠田先輩を止めようとしたのなら……
……ねえ、相沢くんはどう思う?」
急に問われ、俺は答えに詰まる。
先生は部活のために尽力しているように見える一方、
言動のどこかに歯切れの悪さを感じるのも事実。
(まさか、本当に先生が犯人……?)
迷いを振り払うように、頭を振る。
「まだ決めつけられません。
ただ、先生の過去を知った以上、どうしてあの人があそこまで“怪我”にこだわるのかは、少し理解できる気がします」
「うん……。私も同感」
ひなたもそう言ってうつむいた。
大谷は腕を組んで唸る。
「篠田先輩が『先生を疑ってる』って言ってたのも頷けるよな。
先生が“怪我を避けさせたい”って意図でボードを隠した……そんな可能性もゼロじゃない」
「でも、それが本当ならなおさら解決してほしい。
先生だって、こんな形で生徒を傷つけるなんてしたくないはず……」
ひなたの言葉には、まだ“先生を信じたい”という感情がにじんでいるように感じた。
桐生先輩は小さく息をついてから、机の上の資料をまとめる。
「この情報は、まだ黒川先生本人には伝えていないわ。
みんなも不用意に他の生徒に言いふらさないで。
先生を追い詰めることになるかもしれないし、何より確証がないから」
「わかりました」
頷き合う俺たち。
とりあえず、ここで得たのは「黒川先生の過去の怪我と失意」という事実。
それだけでも、十分インパクトのある情報だ。
(先生が本当にボードを隠したなら、理由は“篠田先輩への愛情”か“自分の過去のトラウマ”か……?)
(……それとも、まったく別の狙いがあるのか?)
疑念は深まるばかり。
ただ、これを篠田先輩に伝えれば、「やっぱり先生が犯人だ」となりかねない。
事態をややこしくする前に、もっとはっきりした証拠が欲しいところだ。
◇◇◇
3. その日の帰り道――ふと見えた先生の姿
桐生先輩の話を聞き終わった後、俺たちは軽く部室に戻ってから下校した。
大谷は途中でバイトがあるらしく先に帰り、ひなたと二人で昇降口を出る。
「やっぱり“怪我のトラウマ”で先生が篠田先輩を止めようとしてる、って線が濃厚かな……」
俺が言うと、ひなたは首を振る。
「わからないよ……確かに怪我は怖いけど、それなら素直に“無理をするな”って言えばいい。
ボードを盗むなんて方法、普通じゃ思いつかないし」
「うーん、そうだよなあ……」
口ごもりながら校門を出ると、ちょうど黒川先生らしき姿が見えた。
少し離れた場所で、誰かと話し込んでいるようだ。
相手は……篠田先輩?
いや、違う。男の生徒っぽいが、よく見えない。
「先生、誰と話してるんだろ……?」
ひなたが小声で言う。
俺も街灯の下に立つその二人を見つめていると、
ちょうどこちらに気づいたのか、先生がバッと驚いたように目を向けてくる。
そして、もう一人の男生徒は慌てて背を向け、走り去ってしまった。
「先生……今のは?」
声をかけようと近づくと、先生は少し動揺した様子で言葉を濁す。
「いや、ちょっとな……部のことで話してたんだ。すまんが先に帰れ」
そう言い残し、先生も足早に去っていった。
(今の生徒、見覚えはないけど、退部検討中の部員とかか?)
胸の奥に妙な違和感が残る。
先生はただ事でないような焦り方をしていたし、相手の生徒も何かを隠している風だった。
「また新しいトラブル……じゃないといいけど」
ひなたは不安げにそう呟く。
俺も何も言えず、黙ってうなずいた。
◇◇◇
4. 夜、過ぎ去りし夢の痛み
その夜。
俺はベッドに横になっても、頭の中が渦巻いて眠れなかった。
黒川先生の過去――足の怪我でプロサーファーの道を絶たれた悲惨な経験。
それは、今の篠田先輩とダブる部分が多い。
(もし、先生が本当に犯人だとして……“守りたい”という気持ちは理解できるけど、
盗難という手段は到底許されない。
しかし、一方で別の誰かがやった可能性も捨てきれない。
先生ばかりが疑われているけど、本当にそうなのか?)
篠田先輩自身が何かを隠している可能性だってある。
沙季先輩や他の部員が何かを企んでいる線も、ゼロではない。
(……やっぱりもう少し証拠が必要だ。
確証もないまま、疑惑だけが先行してるから、部がバラバラになってるんじゃないか)
考えたところで今は何も進まない。
けれど、黒川先生が「関係者の期待に応えようとして足を痛めた」という記事を読んだとき、
自分の胸にもチクリと痛みが走った。
(「挑戦する怖さ」を誰よりも知っているからこそ、先生は……?)
まぶたを閉じると、遠くで波の音が聞こえる気がする。
かつて、先生もサーフィンに熱中し、波と一体になる快感を知っていたのだろう。
なのに大怪我で断念した。
その痛みと恐怖は、そう簡単に癒えるものではないはずだ。
もし俺が先生の立場だったら、どうするだろう?
(怖がって何もできないのが俺の悪いクセ……)
昔の自分を思い出し、少し切なくなる。
明日はもう少し動いてみよう。
何か突破口を見つけないと、このままでは篠田先輩も先生も苦しみ続ける。
「みんなで、次の手を考えよう」
そう自分に言い聞かせ、ようやく意識が遠のいていく。
耳の奥には波の音。
まるで暗示のように、眠りの淵へと誘われる夜だった。
◇◇◇
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